特集 杉コレ in 都城
「皆さん、こんにちは〜!」
杉コレクション2007都城での司会進行の最初の「つかみ」だ。 スギダラのことに明るい読者の皆様であれば、何ゆえ若杉、千代田のスギダラ兄弟が、杉コレの司会をやっているのかご存知かも知れないが、念のため解説しておこう。 第一回の杉コレは2004年に日向市で開催された。その時はプロのアナウンサーを司会に雇い、言わばよくある地方イベントという感じの進行になった。恐らく、木青会の運営スタッフは会場に華が欲しくて女性の司会者を、と考えたのだろうが、木材のことやまちづくりのことに明るいわけでもないので、当たり障りのない進行になるのは当然。 今さらケチを付けるようで、恐縮であるが、私は盛り上がりに欠けた気がしていた。 その翌年2005年はステージを宮崎市に移しての開催だ。縁あって、私の勤めるウチダラ洋行も協賛することになり、審査員を送りこむことになった。1次審査の時は、私千代田が審査員代行を務め、内藤審査委員長を始め、南雲さん、宮崎大学の出口先生、建築家の武田光史さんと共に1次通過の10作品を選定させていただいた。 その1次審査の後の宴会で、前回の日向大会での司会の話になり、「司会はあまりよくなかったね」という意見が出てきたので、私は酔った勢いもあり、「あれだったら、僕らがやりますよ!」なんて言っていたらしいのである。
千代ちゃんかたいバイ、かたい。皆さんこんにちは〜〜 WCのW若杉です。 皆さん僕らは決して司会業や漫才を職業にしておりません。こう見えてもデザインを仕事にしております。 コトの始まりは、千代田の「僕らが司会やりますよ」という発言から始まりました。まあ僕がやりますはいいです。しかし僕らの「ら」って誰か? その「ら」たい、「ら!!」 千代田曰く、「ら」は若杉さんの事です。だそうだ。このお陰で私「ら」はコトもあろうに司会業になってしまったのです。 なぜWCか?って。それは千代ちゃんお願いします。
そう、杉コレ都城大会の司会のシナリオにそう書いてあったからです。 宮崎行きの飛行機の中で、司会進行の手順を若杉さんと確認していると・・・ イベント全体の司会進行役のところは「MC(master of ceremonies)」のト書き。 その下には見慣れない「WC」のト書き。どう見ても、僕らの出番のところだった。何か業界ではそういう役名があるのかなー、とか考えている内に、
さて杉コレについてですが、ぼくはこのデザインコンペは他のコンペと少し違うところがあると思うんです。手作りである事は間違いない。それと人種の違うメンバーが重なり合いコレボレーションをしながら出来上がっているという事です。今回の杉コレもそうでしたし、一回目の日向もそうであったと思います。杉を単なる建材としてではなく、杉の新しいデザインや利用方法、そして楽しみ方を見いだそうとすると、今までは関わらなかった色々な人達や加工技術、そして使う側との新しいコミュニケーションが必要になるということです。どんなに素晴らしいデザインでもつくれなければ意味が無い。だからつくれる人と巡り会う事、そして協力が必要になる事。これには手間ひまがかかるし、根を上げたくなる。しかし、それを乗り越えて出来たものは見る側にとっても発見と驚きがある。それは当然関わった人達もそうだと思います。 ねえ千代ちゃん。
そうそう! そこでWCが登場するわけですね。もちろん、僕「ら」は杉の専門家でも何でもないんだけど、スギダラ倶楽部でやって来たこと、仕事としてやっているデザイン、ものづくりを通して、デザインする側と生産・供給側を繋げてゆく役割は担えるんじゃないかと思ったのです。杉コレの公開審査においては、審査員の皆さんとエントラントをデザイン、ものづくりという切り口で結んで行けるんじゃないかと・・・特に審査員の皆様の素性もよく知ってるし、双方を盛り立てて行けるように思ったわけです。 まあ、だからと言って、司会という多くの観衆を目の前にしてしゃべるというのは別のスキルが必要なんですが、僕はその辺は大学の講義とかでいつも若千代コンビでデザイン漫談やってきたから、大げさに考えずに引き受けるようなことを口走ったのでした。
まあ、千代ちゃんの突進ぶりには毎度、毎度、やられてます。もういい加減にせんか!!と言うものの、僕とは違う、そのノリが新しいものとの体験にも繋がっていると思います。そう言えば、もう一つ貴重な体験をさせてもらいました。有馬先生も仰ってましたが、「杉のかまくら」のように使い手、いや子供達から新たな価値を教えてもらうことがある。という事です。作品の魅力を引き出したのは子供達でした。完成した姿も良かったですが、崩された形や様が良かった。何かぐっと来るものがありました。それとともに作り手や評価する側には予想もしなかった、連携や協創関係が存在したという事です。 僕なんかプロダクトデザインをやっていて、作る側と使う側の距離を感じています。そして、またその悲しさもあります。どこかしら、しょうがないんだ、なんて諦めてた感があります。それからすると使う側の力で新しい発見や価値が浮き彫りになる。これは驚きであり、反省でした。
そうそう、「驚き桃の木、杉の木でしたね」(by 元日向木の芽会 藤永氏) そんな経験から、デザインと言うのは、デザイン業界の中でもてはやされている概念、言語では語れない要素があるんだ、って思いますね。杉でデザインやってるとそういう場面に出会うことが本当に多いです。
まあ、大変と言ってる割に僕「ら」は結構楽しんでやってますけどね。ねえ、若杉さん? 自分たちでもデザインの展覧会やったりしていますが、業界とか関心を持っている人々の枠を超えようといろんな試みをやって来たし、これからもやり続けようと思っています。だから大変なんですが、展覧会とかデザインとは全く縁の無い人々との出会いがあり、それだけでも面白いし、新しい発見の連続です。だから、面倒でも大変でもやって行こうという勇気がわくんです。こういった感覚はスギダラから学んだものであり、特に宮崎日向で小学生とやった移動式夢空間からずっと繋がっているんです。
う〜ん、良いこと言うじゃない、千代ちゃん。杉コレに潜んでいるもの、それは未来だと思います。それは我々の中に潜む杉のDNA、そして今の杉の状況や歴史、文化、そしてそれを新たに生活に活かそうとするデザインや仲間、そしてつくる人達、素材を供給する人、応援する行政や自治体、企業、そして、使う人達。全てが無いと始まらない。つくって終わりじゃないのです。便利さや合理性に染まって、与えられるものを使い、少しでも問題があればクレーマーになり、無駄な完璧性を求める時代の中で、新しいものが潜んでいる。こりゃー、やめられません。もう呼ばれなくても司会をやります。そうです僕らが司会です。ねえ千代ちゃん。
おいおい! 誰だよ! 「俺らの「ら」って誰のことや?!」とか言ってたのは! 全くぅ! もう、自分で「ら」とか言ってるし・・・ 皆さん、聞いてくださ〜い。2005年の杉コレ宮崎大会の司会を僕が引き受けて来た時、怒られた話を・・・
・・・という感じで怒られたのですが、実際にステージに立ってみると、自分が一番ノリノリでやっているんですよー! それから、次の都城大会のWCでデザイン司会業という新しいデザインの領域を切り開くことになったのでした。(なってない、なってない!) 次回はスギダラの出発点であり、杉コレの出発点でもある日向に戻ってきます。会場でWCが皆様をお待ちしております。杉とゆく懐かしい未来へ向けて! お楽しみに!!!