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杉って急に言われても、何のイメージも思い浮かびません。。。というアナタ。 |
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高速道路を走れば、新幹線に乗れば、車窓には杉の山。(これは出雲) |
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春〜夏に広葉樹が新緑(黄緑)のころは、針葉樹の杉(濃緑)との対比が鮮やかです。 |
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参考1)「飫肥杉の船を伝え、生かすのか。」日南支部オビダラ日記(2013年6月) |
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そんな日常の様子は、時代劇を見ることがあればイメージがつくかもしれません。 しかし実は、杉と日本人のつきあいは数百年どころか、数千年の単位で親しんできました。「遺跡」と呼ばれる場所からも、杉の建材、杉の農機具、果ては杉の楽器まで出土しているのです! |
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参考2)静岡市周辺の観光ガイドマップ |
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そうです、杉、そして木への愛は、日本人のDNAに刻み込まれているのです! |
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ところで、スギダラの創設期とも言える時期に、私(キャッシー)は、スギダラ三兄弟の次男と三男が仕事をしているチームに在席(ほんとに席だけもらってました。所属は別部署)していました。うねるように活動を始めたスギダラに対して「杉だら? なにそれ?」と杉も檜も(右も左も)分からないまま、ただただ、杉家具が次々と増えていくさまを目撃していました。いや、杉家具になる2mの柱なんかを8階まで運び上げる手伝いをしていました。 |
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参考3)「スギダラ・インテリアの戦い」スギダラ家奮闘記/第12回より(2006年7月)
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してまた、"勝手に"持ち込んで「やってもいいよ」と言われた程度ですから、予算がないことないこと。なので、現場への搬入やら、リブ板の大量釘打ちなんかはスタッフ総出、果てはお客様のご好意に甘えてお客さんにも釘打ちを手伝ってもらったりしていました。 そうやって、わいわいと杉家具を設置することが増えていき、やがて、杉家具の設置と言えばみんなでわいわいやるやつでしょ!? という感じになっていきます。いっしょに汗をかいてご飯も車座で食べて、このリブ打ち本当に今日中に終わるのか??と焦り出すつらい時間も一緒に乗り越え(笑)、完成の達成感をみんなで味わう日々。これがけっこう楽しいんですよね! |
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参考4)スギダラな人々探訪/第43回 「スギダラ本部移転!(その2)」(2010年3月) |
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お客様に引き渡しした後も、彼らが自分たちのお客さんに「この杉のリブ、自分たちで打ったんですよ! すごい量でしょ!(笑) もうスタッフ総出! きつかった〜〜!(笑) このリブの間隔を揃えるのに性格が出たりしてね〜」なんて聞かれてもないのに説明しちゃう風景がしばしば見られたとのこと。 杉も檜も分からなかった私にも、なんとなく感じるものがありました。 |
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−次回へ続く |
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●<はかまた・さいこ> またの名をキャッシー。スギダラ天竜支部広報宣伝部長。 6年間の株式会社内田洋行勤務を経て、Uターンにて現在デジタルセンセーション株式会社勤務。 | ||||||||||||||||
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