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No,010 「林家に嫁いで35年」 | ||||||||||||||||
文・写真/ 川内喜美子 | ||||||||||||||||
林業家に嫁いで35年。林業の“り”の字も知らなかった私。嫁ぎ先の北郷の山々の風情に感動というよりは不思議なものを感じていたことを思い出します。ここの山はどうしてこんなに整然として美しく生えているのだろうかと。林業にまったく無縁だった私は、山の木はかってに生えているものだと思っていた。当時よく我が家に来られていた王子緑化の所長さんに、あるとき尋ねた。どうして北郷の山の木々はきれいに整然と生えているんですか、と。所長いわく、「それがあなたの旦那さんの仕事なんですよ」と。もうびっくりでした。主人は、あまり仕事の事を詳しく話さなかったし、そのころの私は林業=製材所ぐらいの認識でしたから。恥ずかしい話です。地下足袋履いての出で立ちもびっくりでした。ここで主人の仕事が造林業だったことを初めて知った訳です。昭和55年、林家に嫁いだものの何も知らない私は、主人が夜な夜な山を木を田舎を熱く語る姿勢に、この人は山の申し子かも知れない、と思った。じぶんの仕事にある種の使命感をもち、木を育てること、そして後継者が残ることのできる山づくりに夢とロマンを語る主人。きもちはひとつになった。 でも、林業を取り巻く時代の流れは年々厳しくなり、生き残れる林業、山づくりの模索が始まった。それから林研グループの仲間と共に、「低コストの山づくりで高収益をあげよう」の旗をかかげて、林業先進地の吉野や四国の愛媛にと視察研修を重ね、新しい山づくりに挑戦、取り組み、今日に至っている。 苗木を植えてからすぐに枝打ち作業に入り、一本一本、年2回の枝打ち作業は並みのことではありませんでした。それにもまして大変なのは、山への投資の連続です。台所を預かる私としては愚痴を言いたくなったり、いろいろ戦いの連続でした。それぞれが忍耐の日々だったかも(いや私だけかもです)。そして、主人の口癖、「なんでも一番にならんとダメ」の精神が幸いしてか、現在30ha余りのみごとな杉、ヒノキの森は、県内外からの視察研修地にもなっています。ぜひ一度美郷町北郷においでください。こんなに手の入っている山があることを、知っていただければと思います。 まさに継続は力なり。現在、通直で無節の無垢材の海布丸太材、磨き丸太、絞り丸太の加工も手がけています。67歳の職人気質の主人は、自分の手がけてきた一本一本の木が、皆様に喜んで使っていただけることに想いをはせて、今日も弁当持って、腰に枝打ち鎌さして、はしごに登り、枝打ち作業に明け暮れております。近い将来、我が家の無垢材が、軒下の垂木、天井板、垂木等、いろんなところに銘木丸太、化粧材として、使っていただけることを願っております。おかげで後継者も帰ってきました。可愛い嫁にも4月には赤ちゃんが。「山に生きて、地域に活力を」の主人の想いが届きますように。 |
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●<かわうち・きみこ> 宮崎県・美郷町北郷女性林研グループ | ||||||||||||||||
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No,009 杉の魅力『ぼけない君』 | ||||||||||||||||
文/ 小田ちはる | ||||||||||||||||
日本は、今や世界中から注目され、一目おかれる文化大国である。"かわいい"に代表されるファッションや 古来より受け継がれている和食に加え、様々なアレンジを盛り込んだ食文化、これらはまだまだ進化し続けて世界中に波及していくことだろう。 そんな中、『Japanese cidder』=『日本の杉』(『隠れた日本の財産』の学名も持つ!)と知り、ワナワナ大感激したのが2年前!である。24年も林業に携わっていながら、杉が日本固有の樹種だと、考えた事もなかった。 改めて見つめ直して、私はますます杉の魅力に魅せられてしまった。そして、自分たちの活動を振り返り、杉とのつながりをより強く感じる事が出来た。 実は、私たち北郷女性林研グループは 以前は男性林研に付属する名前だけのグループだったが、12年前、山林に転がる杉の元玉を何かに活用できないものか、と取り組んだ木工教室の中で、地元の杉板とビー玉を使った作品を『ぼけない君』とネーミング、商品化して売り出した。 あなたの身の周りには木の温もり・肌触りを感じる事が出来るもの、ありますか? |
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●<おだ・ちはる> 美郷町北郷女性林研グループ代表 | ||||||||||||||||
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No,008 「山と川で思うこと 」 | ||||||||||||||||
文/写真 上村洋平 | ||||||||||||||||
宮崎県の美郷町北郷に移り住んで8年目になる。その間、地拵え、植え付け、下刈り、除伐・間伐などの造林作業から伐採搬出までの山仕事、北郷の特産品である備長炭を生産する炭焼き、北郷の杉を使ってのログハウス造り、またカヌー・カヤックでの川下りを案内するリバーガイドなどの仕事をさせてもらってきて日々を暮らしている。 |
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五十鈴川でのカヤック。 | ||||||||||||||||
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ウナギを捕る竹の筒の仕掛け(ポンポンとこちらでは呼びます)にウナギが入っている様子。 | ||||||||||||||||
●<うえむら・ようへい> 大学卒業後 京都の美山町で田舎暮らしの研修生をする。2008年九州に戻り、各地を巡った末、宮崎県美郷町北郷に移住。炭焼き、山仕事、ログハウス造り、リバーガイドなどを仕事としながら、井戸やかまど、五右衛門風呂のある家で暮らす。 | ||||||||||||||||
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No,007 「宮崎県・五ヶ瀬の杉を使って20年 」 | ||||||||||||||||
文/写真 曽我部謙造 | ||||||||||||||||
五ヶ瀬に帰って来て、ログハウス建築を始めてもう20年以上になる。 |
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夏の完成当時。 |
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その後、宮崎に帰って来て「ログ工房 EL CAMPO」を始めた。九州には、杉を使ってログハウスを作る会社がいくつかあり、技術も日本にあわせて進化したものがあり、凄く勉強になった。やはり、杉は日本の木だから気候に合っている。100年生以上の米松で建てられた家の外壁が風雨で腐っているのを見ることがあるが、杉とは違い繊維が通っていないようにぼそぼそになっていた。日本の家は風土に合わせて軒をのばし、風雨に当てない工夫が必要だ。飛鳥時代の先人がしたように。 |
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●<そかべ・けんぞう> ログ工房EL CAMPO | ||||||||||||||||
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No,006 「延岡産杉材の住まいづくりと子育て 」 | ||||||||||||||||
文/写真 柴田志摩子 | ||||||||||||||||
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過去、幼児教育に携わり二人の息子を育てていく中で、住環境と子育てが次々にリンクしていくのに気がついた。社会生活におけるあらゆることを住環境のなかでも子供は学んでいくのだ。そして育自。自分も子どもからたくさんのことを学ばせてもらう。子育てをする親の姿勢は「見護る」こと。そしてタイミングを見て「補助」すること。それが子どもの成長を促し 自立につながる。と経験から確信していった。生活しながら遊びながら5感を育てる仕掛けをつめ込んだ木乃香の家。電気をなるべく使わない自然環境の中で、ココロもカラダも健やかに、豊かに育ってほしいと願いをこめる。子どもが良いものは親にも心地よい。親も杉のやわらかさと5感への刺激を子どもと共に味わってほしいと思う。 | ||||||||||||||||
杉々つながる・・・と聞いて、私のイマココ、杉つながりって?と記憶をたどってみた。 そうだった。生まれた時から杉を引く台車の大音量を子守唄に、杉の香りに包まれながら、杉丸太の山を弟と駆け回り、フォークリフトや三輪車のダンプに乗せてもらって育ってきたのだった。宮大工だった祖父の大工弟子8人と一緒に住んでたっけ・・・、杉の香りと共に想い出していると、お腹の奥底からあの頃のワクワクする気持ちがよみがえってくる。少し大きくなると、祖父や父と一緒に現場廻りや土場に行ったり、弟と残材でパチンコ台を作ったり、現場監督の兄ちゃんにテニスをして遊んでもらったり・・・、最高に楽しかったなぁ〜♪ |
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●<しばた・しまこ> 葛v米建設・住宅店舗デザイン設計部 | ||||||||||||||||
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No.005 「木の香るまちづくり」 | ||||||||||||||||
文/平田竜教 | ||||||||||||||||
私の地元である宮崎県日向市では現在、駅周辺を中心に区画整理が行われており、早10年以上経ちました。道路拡張等に伴い、ほとんどの既存建物が移転新築となり、今では以前の面影が思い出せない程、街並みが変わりました。整備が進むにつれ新しい街になってはいるのですが、正直な感想は"きれいにはなったな"というものでした。以前は様々な業種が各々個性ある色や形状をしており、良く言えば個性、逆を言えば街並みとしてはバラバラ…。現在は区画ごとの施主達が取り決める"憲章"があり、景観的に統一感が生まれております。しかし新建材で形成された街並みは、どこか少し寂しいという感覚もありました。私は建築士会に所属しており、建築士会で"景観デザインブック"を提案しようと考えました。 |
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ブック内提案(一部) | ||||||||||||||||
私が小学生の頃、実家が新築されました。今でも覚えているのが杉の匂いです。今、現場に行くとたまに昔のことを思い出します。祖父との虫取り、汗びっしょり頑張ったソフトボール、弟たちとの川遊びなど…。 木は五感で私たちを育ててくれます。これからの子供たちにも同じことを感じてもらえるよう努力していきたいです。 |
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弊社施工の木造小学校教室棟間の外部テラス光庭。(全て地元杉材) | ||||||||||||||||
●<ひらた・たつのり> 吉原建設株式会社 日向支店 | ||||||||||||||||
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No,004 「KUMIKIについて」 | ||||||||||||||||
文/金丸 亨 | ||||||||||||||||
私は、生まれた宮崎県が杉の生産量日本一だという事を、東日本震災で被害を受けられた宮城県の材木屋さんから教えてもらった。 縁があり、岩手の陸前高田へ震災前と震災後の2度訪れる機会を得た。 この取り組みが素晴らしいのは、地元の人が立ち上げたのではなく、群馬県の若者が震災の時に生まれたつながりや絆などの大事な心のもちようを風化させたくないという思いから、陸前高田で出来ることを模索して生まれたということだ。そこには、自身の社会経験の中で「働くということは何なのか?」という問いが生まれ、人や社会の役に立ちたいという答えにたどり着いたという背景もある。 「KUMIKI」は、主に間伐材を利用して加工されるモノであるため、山を守ることにもつながる。 さらに仕事の無くなった土地で受け継がれた技能を守っていくことにもつながる。 この取り組みは、被災地だけに留まらせておくのはもったいないと思う。 ゆっくり楽しく自然を守ることにつながる。これっていいよね! やっぱり日本人には木が似合う。そう思うわけです。 |
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国産の杉材でつくられている「KUMIKI」は、家具をつくることが出来る「KUMIKI LIVING」と建築までつくることが出来る「KUMIKI HOUSE」の2種類。 | ||||||||||||||||
●<かねまる・りょう> 株式会社金丸慶蔵商店 代表取締役 | ||||||||||||||||
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No.003 「木造の可能性」 | ||||||||||||||||
文/遠藤啓美 | ||||||||||||||||
大きな施設を木造で設計する機会が増えてきた。 少し前までは大空間を必要とする施設は、基本設計の段階から迷いなく鉄骨造もしくはRC造で計画を進めていたが、最近はまず 「木造で出来ないか」 を検討する。 そのため弊社では、この数年間で幼稚園・診療所・高齢者施設・集会施設など、大空間を有する木造建築の実績もかなり増えてきた。 宮崎県でも県産材の利用に力を入れているが、これは2010年に施行された「公共建築物木材利用促進法」により、国が率先して公共建築物の木造化を促進している流れで、全国的にも学校や保育所などの教育施設はもちろん、これまであまり木造では建築されなかったものまで木造建築にする動きが進んでいる。 出来るだけ木造建築としたい理由はいくつかあるが、ひとつは温暖化対策などの地球環境保護に貢献できるということ。 また、杉などの地元資源が使えるということ。 それにより地元産業が元気になるということ。 そしてもうひとつの理由が木造の最大の魅力だと思うが、木造空間が与える心地よさは人間の五感に癒しを与えてくれる、ということだと思っている。 その日本の伝統的な素材が、いま新たな素材として未知の可能性を秘めている。 |
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弊社設計の物件、延岡市内の木材加工工場です。 | ||||||||||||||||
●<えんどう・ひろみ> 小嶋凌衛建築設計事務所 勤務 一級建築士 | ||||||||||||||||
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No,002 「杉の味」 | ||||||||||||||||
文 / 末永慎治 | ||||||||||||||||
杉材を使って家具・建具を作らせていただく時に、お客様によく言う言葉がある。 そんな事を思うようになったのは、最近の事だ・・・。 家のデザインや周りの雰囲気、ライフワーク、動線から建具・家具の材質・形・色を決めていき、お客様と膝をつき合わせて作っていく。 今、その醍醐味を、大学を卒業して後を継いでくれた息子と味わっている。 |
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●<すえなが・しんじ> 有限会社末永家具 代表取締役 | ||||||||||||||||
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NO.001 「杉建具のススメ」 | ||||||||||||||||
文 / 土井裕子 | ||||||||||||||||
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日本は大工だけでなく、建具や指物の職人の技術も世界一であるが、建具は既製品に押され、親しくしていた建具屋さんが廃業してしまい、今回は昔、隣組で、親子二代に渡って付き合いのある末永家具さんに、諸塚の杉で作ってもらった。 次は、こんな建具をカリフォルニアあたりに売れない物かと考えている。 スギダラメンバーの方で、輸出に強い方がいたら是非、考えて頂けないだろうか。 |
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●<どい・ゆうこ> NPO法人五ヶ瀬川流域ネットワーク 理事長 |
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