![]() |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() |
|
||||||||||||||||
![]() |
今年のこの記録的な猛暑で、全国的にスギやヒノキが例年以上に生育し、来年の花粉飛 散量が大幅に増加するという。なんと過去一番か二番らしい。何だか複雑な心境である。 しかし何というか暑さもさることながら、色んな出来事も多い。だから一カ月なんてあっという間に杉去 ってしまう。 この何週間かを振り返って見る。 8月01日、新しいシェアリング自転車システム「Porocle」の発表のために札幌に飛ぶ。 |
|||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
8月18日、先月号の月間杉発刊後、残暑払いをしようと武田光史さんが持ちかけ、特集記事を書いていただいた、川村さん、武田さん、羽藤さんを囲み、編集部がこれからの月刊杉について語りながら呑もう・・・というイメージであったが、人数がじわじわと増え、最終20人近くが武田さんの設計した中目黒の店に集結した。何と海野さんまでいるではないか? 大先生もいらっしゃる。。羽藤さんと若杉さんの二人は、初対面であったが、ともに西粟倉村のWSに参加していた仲であった。スギダラの幅の広さはどんどん広がっている。 | ||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
8月20日、スギコレ二次審査。 西都原古墳の傍らにあるレストラン「古代の風」で夕刻から始まった前夜祭は三人の神が登場し、異様な熱気であった。(詳細は特集で) しかし、一時はこの光景さえ諦めかけていた。全国のスギダラの皆さんの呼びかけのおかげもあ り、今年の杉コレは大人190人子供120人という過去最大の応募者数であった。そんなバックアップもあり、何とか最終的に二次審査に漕ぎ着け、本審査の実現に繋がっていった。 二次審査でこんなに盛り上がって最終審査はどこまでやるの? そんな声がアチコチから聞こえて来たが、後はやるしかないでしょう。ね、皆川さん、池水さん。それだけ今年は杉コレが実現出来ただけで嬉しかったのである。 |
||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
8月30日、高千穂秋元に行く。 スギダラ仙人こと、飯干敦志さんが新たに立ちあげた「高千穂ムラたび活性化協議会」の応援に行った。今年二回目である。今回は秋元の美味しい食べ物と、それに絡めた屋台とのコラボ、天孫後輪?。そして魅力的な 土産物開発などのWSに参加してきた。村がひとつの企業となり自立を目指す。淳志さんは、「この山の中の小さな村、秋元がみんなで力を合わせ、未来に向かって生きていける力をつけるのだ。全国には同じような 境遇の場所がたくさんある。そんな地域のためにビジネスモデルとして、成功する必要がある。」と熱く説く。確かにそうだ。盛り上がるだけでなく、きちんと金を稼げるということが結局は生き残れるかどうかの境目なのだ。 それにしてもこの小さなムラによくぞ適材適所というか、役割に相応しい人が沢山 いるのには驚いた。いや、初めから居たのではなく、徐々に順応していったと言う方が正確だと思う。 |
||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||
8月31日、下界に降り、IT案山子を一緒にやったJRフロンティア研究所の中川さんと内田洋行で再会する。あれから三年、「中川さん、そろそろ案山子やろうよ、 最近案山子すごい人気ですよ〜。」「はい、ぜひやりましょう!」当時少し時期は早かったかも知れないが、必ずあちこちにIT案山子が立ち並ぶ時が来ると思っている。 その場で若杉さんと久々に会った。実は最近若杉さんとあまり会えなくなっている。「若ちゃん、なんかさあ、最近にスギダラ活動増えているのに一緒に活動する機会が少なくなったね〜。」「そうなんですよ〜、忙しいからか、それぞれの役割が少しずつ違ってきたからかわからないけど、しょうがないよ、ここまで来たら、やるしかないでしょう!」などと話しながら、またお互いに次の旅に向かっていく。 来月10月9日、ヒバらくぶりに「watashi matsu bar」と共に海を越え、青森県大間に行く。 |
||||||||||||||||
● <なぐも・かつし> デザイナー ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。 著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部 |
|
|||
Copyright(C)
2005 GEKKAN SUGI all rights reserved |
|||