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一言では語りきれない、そして、誰もが一生忘れられない2011年だった。杉ダラも本当に色んな事があった。千代田さんのレポートを横に見ながら、スギダラな1年を振り返ってみる。 |
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1月、年明け早々の11日、秋田へ。とても寒かった。五城目という町でNPOを立ち上げている芳賀洋介さんの企画、「おくりばこプロジェクト」のデザイン協力のためだった。五城目周辺の視察や工場見学をした。地域のためにものづくりと絡め、地域そのものを発信していこうというプロジェクトで、取りあえずプロトタイプを作り、今後さらに継続していく足がかりをつくった。( 秋田杉歳時記参照) 2月、12日に津高さんに招待していただき、JR九州新幹線試乗会に参加した。何処かで若杉さんが書いてくれたが試乗会よりも焼酎飲みすぎの記憶が大きく、いや〜、九州の皆さん失礼しました。それにしても新幹線奇麗でしたね〜。 そして3月11日を迎える。その日は内藤廣東大教授の最終講義であった。僕は出水とそこに向かう途中地下鉄内で地震にあった。慌てて地上に出る。だがその時はその後の事態は想像だにしていなかった。内藤さんの最終講義にどうやって行こうか、そればっかり考えていた。新宿までタクシーで行くが、その後は埒があかない。JRも地下鉄も全部ストップ。第二波の高層ビルの揺れを見て身の危険を感じる。東大行きは諦め、一旦事務所に帰り徐々に状態を把握するが、夜という事もあって、はっきりした事が解らないまま何とか帰宅。長い長い一日だった。 |
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その日新宿駅西口の道路は人で埋まっていた。 | ||||||||||||||||
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何が何だか分からなくなった。でも14日日向の出張は予定通り行った。電車は散々だった。超満員の車内で携帯をなくす。そんな中、日向工業高校の課外授業の最終回を小野寺さんと行う。そして富高小学校小学校の同窓会も翌日行った。遠く宮崎から見た東北は遠かった。 5月、東大景観研の中井教授より大槌の屋台プロジェクトの協力要請、初めて三陸の被災地を視察した。言葉が出なかった。ターゲットを7月早い時期と決めデザインを固める。出水は必死になって屋台やベンチの図面やモデル製作を最優先に行う。 6月には青森県むつ市のまちづくりセミナー。ここでは限界自治体という事態を迎える地域に対し、屋台でつくるコミュニティーづくりの可能性のセミナーを行った。発端は本州最北の地、大間町のあおぞら組組長の島康子さんの紹介であった。セミナーの前日の懇親会では何と実家の近所に住んでいた一年先輩とバッタリ出くわした。信じられない、日本は狭い。 7月、1日〜2日、熱い熱いGS24(24時間ぶっ続けトーク大作戦)に若杉さん、菅原さんと夜の1時から"S"(sugidara)のコマに出場。 このGS24も今年の記憶に強く残っている。 |
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スギダラの繋がりがテーマ。衣装はツナギ | ||||||||||||||||
16、17日は若杉さんのふるさと熊本天草ツアーに行く。いやー、感動した。こんな地で育った若杉さんとスギダラを始めることになるなんて、若いときは想像も出来なかった。それくらい別天地だった。そして藤原先生の流れるようなファシリネーターぶり、さすが全国で3,000回のWSをこなしてきた人にしか出来ない、素晴らしい仕切りでした。地元の皆さんの明るく、暖かい性格にも心打たれた。そんな気候風土、人が織りなす地域性こそがこれからの地方の未来の本質だと確信する。天草から帰ってすぐ23、24日と岩手県大槌屋台プロジェクトに参加した。まあ、この時の事は71号に書いてあるのでそちらを参照されたいが、一生心に残る感動を味わった。 8月、生まれて初めてインドへ旅行に行く。 インド人の思想は実に奥深く、そして優しい。この旅で見た数々の光景はまさにスギダラがめざす姿と重なる事が多かった。 |
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インドの加治屋 | 浜で魚を売る女性 | |||||||||||||||
9月、6日に若杉さんと岩見沢へ。ドーコン、内田洋行が協力し、岩見沢森林組合、地元商店街に対しスギダラセミナーを行った。(月刊杉73号参照)14,15日の日田ツアーへと続く。時間が無いなか、初めて訪れる日田を散策。中でも小鹿田焼の集落は江戸時代から続く伝統的な焼きのものを継承していて、その窯や土を砕く技術と美しさに驚かされた。まさに人の技術のすばらしさに改めて感動。そしてここでも藤原先生のリードでとてもいいセミナーを行うことが出来た。懇親会は朝まで続いたらしい。21日には内藤廣さんに連れられ、岩手野田村を訪れる。山本理研さんも一緒であった。小さな村の強くやさしい村長さんが印象的だった。31日には宮崎空港保安検査場受賞報告で空ビルから表彰される。僕は日向から、若杉さんは韓国から駆けつけたと思う。互いにあんまり表彰されることないから照れるね〜といいながらひとときの安らぎの場であった。辛いデザイン作業も忘れてしまった。 |
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10月、商品化に向けて春から試行錯誤して来た酒井さんの企画、四万十ヒノキを使用した「少し良いものプロジェクト」のがようやく完成。発売となった。五十嵐久枝さん、藤森泰司さんらと参加した。 |
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11月、5日に有馬さんとまるもちゃんの結婚式へ。若杉さんと事前打ち合わせ、精一杯のエールを送った。実にいい結婚式だった。新幹線試乗会の二の舞は踏まないよう気をつけたつもりだったが、空港からの帰りチェックインしようとすると、僕のチケットは昨日の予約だった・・・まいった。どうにかしている。その足で四ッ谷の東京おもちゃ美術館軍団と合流そのまま飲んだくれ。12日、いよいよ杉コレ2011in日向。 3度目となる今回はその裏では随分苦労をしたものの、結果的にはそつなく、スムースに終わったという感じであった。さすが日向木の芽会。終了後すぐだっこのイスを東北に送る話しが持ち上がる。そして23,24日は今年二度目の吉野へ。「吉野いくぞー」に参加。まちと山を結ぶプロジェクトは今年さらにグレードアップ、来年へ向けいよいよ体制が整い、強い団結力が生まれてきた。 | ||||||||||||||||
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吉野川沿いに吉野の製材所を望む | ||||||||||||||||
12月、13日には平泉中学校デザインワークショップの第3回のWSを行った。新設される中学校の交流ホールを生徒自らデザインし、今年度内に現物を設置しようというプロジェクトだ。 そして10日に「だっこのイスを東北に送るプロジェクト」始動、全国から協賛金を募ることになる。これが10日間という短期決戦であったにも係わらず、全国から多くの協力をいただいた。ここに改めて感謝すると共にスギダラ情報の広がりに驚いた。twitterやfacebookの情報伝達にも改めて今後のメディアの可能性を思い知らされた。 |
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さて、もうすぐ今年も終わろうとしている。こんなスギダラな活動をしながらいつ仕事をするのだろう?と自分でも思ってしまう。しかし、これらの活動の中にこれからの自分の生き方、そして日本の進むべき方向が内含されていることも確かだと思う。 全国のスギダラな皆さん、一年間お世話になりました。そして来年もどうぞよろ杉! |
● <なぐも・かつし> デザイナー ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。 著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部 facebook:https://www.facebook.com/katsushi.nagumo |
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