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宮崎県木材青壮年会連合会現役メンバーの皆様 | ||||||||||||||||
私は、日向木の芽会出身のOBになります。海野洋光と言います。32歳で入会して、卒業する45歳まで日向木の芽会を中心に宮崎の木材界の活動を仲間とともに精力的に進めてきました。とても楽しい活動でした。その活動のなかで成果が出てきました「杉コレクション」です。このイベントは、宮崎の杉を日本中に広めたと言っても過言ではないと思います。もちろん、これは、木青会だけの力だけではありませんが、木青会が無ければ、ここまでの活動には、ならなかったと思います。そこで、後輩になる皆さんにいくつか、先輩として提案をしたいと思います。 | ||||||||||||||||
●これまでの流れ | ||||||||||||||||
私の中で、この杉コレのはじまりは、九州木青会の2002年のメーリングリストからの発信が始まりでした。顔も見たことのない各県の木青会のメンバーと「新しい木青会の九州大会」をそれぞれに想い描く、メールのやり取りをしました。そのときの内容は、沖縄県を含め、8つの県木青会が開催地に木製遊具を設置するコンテストで開催場所に木製の公園をメンバーの手でつくろうというものだった。今までに無いもの(マンネリ化しない)、コンテスト(競技形式)、開催地に有益(公益性)であることでした。このメールのやり取りをきっかけに松岡先輩を中心とする西都木青会のメンバーが、杉コレの原型となる「トンカチコンテスト」を県大会(2003年)に取り入れてくれたのです。2004年に日向木の芽会を中心とする最初の杉コレ日向大会が、開催され、続く2005年の宮崎大会は、川上先輩によって継続が決まり、各会団持ち回り制となって、毎年、緊張感がでて、組織のマンネリ化の心配は無くなりました。 | ||||||||||||||||
●商品化 | ||||||||||||||||
7回も杉コレを続けると考えさせられることが出てきます。一つは、作品の商品化です。毎年、100を越える作品やアイデアが集まり、10の作品を具現化して、コレクション(発表)するのですが、木青会で商品化できたものが、最初グランプリ作品の狩野さんの「スギナミキ」しかないのでした。幸い、昨年、柱エさんたちが、「asiato」を発表して商品化できたと聞いたときは、自分のことのように喜んだものです。しかし、私たちには、商品化の能力もノウハウも無いことを見せつけられた出来事でした。これは、私の考えですが、ここにも木青会の伸び代は十分にあります。 | ||||||||||||||||
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日向市駅のホームに設置されている「スギナミキ」。狩野 新さんデザイン、杉コレ2004 in日向 グランプリ。 | ||||||||||||||||
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杉コレ2005 in宮崎 特別賞「一坪の森 〜足跡のダンス〜」(左)。右は製品化となった「ashiato」。柱エさんをはじめとするMagnetのデザイン。製品化までの詳細はこちら。 |
●総括 | |||
内藤廣氏が審査委員長を務めていただいていること自体が奇跡的なことで、この杉コレの信頼性と格式は、審査委員長で決まると私なりに思っています。内藤氏のお陰でここまで杉コレが、続けられ、育っていったと言っても良いと思います。その内藤氏に2010年の西都大会終了時に「これまでの杉コレの総括を…」と言われた時には、「とうとう、この時が来たか」と私なりに解釈しました。確かに2011年の日向大会で宮崎県内を一巡した。杉コレで各会団のイベントに対する技量は、高まってきたし、宮崎の杉に対する想いも深まってきた。何より、県外のデザイナーや設計者たちとの対話術を身に付けたことは大きな成果と自信になったはずです。私は、次の一歩として、木青会のメンバーの会社で自社の製品を企画開発して、販売するようにして欲しいと願っています。いくつかの仲間は、もう始めています。杉コレで養ったノウハウを是非、会社で生かして欲しいのです。それが、内藤氏の言われる総括に繋がると私は考えています。 | ![]() |
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杉コレ審査委員長・内藤廣氏。杉コレ2011最終審査にて作品「肩車」に座る。 | |||
●戦略 | |||
昨年の5月にサイレントオフィスの内田みえさんの事務所で3時間近く、杉コレについて長々と話をしてしまいました。9月に建築雑誌コンフォルトさんから一次審査の取材を受け、篠原修氏と「ゆい」で杉コレの今までの流れや杉コレに対する思いをしつこいくらい語りました。メンバーの皆さんも読んでいただいたと思いますが、12月号のコンフォルトには、9ページにも及ぶ杉コレ特集でとても内容の濃いものでした。このときに考えたのですが、宮崎の杉が建築雑誌を通じて全国に知られるようになったこの時期を逃してはならないと言うことです。何事も戦略が無ければ、確実な勝利はありません。もし、全国誌に宮崎の杉が特集されたら、どんなに効果があるでしょう?杉コレクションを通じてさまざまなマスコミは、宮崎の杉に注目をしています。皆さんの会社の広告を出してみたらいかがでしょうか?地方の企業が全国向けに広告を出すことは、余りありませんが、逆に目立つかもしれません。一昨年、宮崎県の環境森林税は、木材のPRに一部使うことができるようになりました。これは、木材業界としては歓迎すべきことです。木材が売れなければ、宮崎県の主力産業の林業が成り立たないのです。そのためには、宮崎の杉の優秀性を全国に伝える努力が必要なのです。木青会は、行政と一体となった戦略が必要と考えます。 | |||
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杉コレクションの歴史が9ページにも渡るコンフォルトNo.123/2011年12月号(左)と杉コレin日向の最終審査が紹介されているコンフォルトNo.124/2012年2月号(右)。 | |||
●意見 | |||
2011年は、テーマでかなり、悩んで、動き出そうとした時に東日本大震災が起こりました。中止すべきか、否か?多くの議論の中で昨年、西都のメンバーに私が、言った言葉が頭を過ぎりました。「こんなときだからこそ、杉コレがあるのだ!」やると決めても、悩んだのが、テーマを変更するか否か?でした。要は、杉コレのテーマに震災関係を入れるか?否か?と言うことです。大いに悩み、議論しましたが、「杉コレは、杉コレ」南雲勝志氏の言葉が、2011の杉コレの道を開かせてくれました。杉コレで多くを学びましたが、外部の人の意見をどのように取り入れることについては、木青会を成長させてもらったと信じています。意見をどのように取り扱うかが、組織として判断の分かれるところです。多くの後輩に伝えたいのは、どれだけ、自分たちのことに真剣に聞いてくれる組織以外のオピニオンを見極めるかと言うことです。まだまだ発展途上の木青会は、大いにさまざまな意見を戦わせ、取り入れてください。 | |||
●ルール作り | |||
杉コレも同じですが、主催者は、自由にルールを決めることができます。自由だからルールを破っても良いと言う意味ではありません。一度決めたルールで運営をして、うまくことが運んだら、そのルールを守ることも大切です。無駄なルールややめた方が良いルールは、変えることで良くなれば良いのですが、何か支障が出るのではと一度は疑ってください。ルールを自ら作ることによって自分たちの組織の自立性と責任を育てることになります。ルールは、自分自身に箍をはめることにもなります。その制約の中で杉コレを成功させていかなければなりません。メンバーでルール作りをしてください。そして、無駄なルールやおかしいルールは、変えるようにしてください。より良い運営のために! | |||
●謎解きゲーム | |||
杉コレは、高度な謎解きゲームと私は、思っています。木青会の皆さんは2011の杉コレの作品は、少し、今までと違っていることに気づきませんでしたか?実は、テーマは「東日本大震災について触れない」ということでスタートしました。10作品のほとんどが複数製作されていたと思います。過去にはできるだけ大量の体積を求める杉コレもありました。笑いを求める杉コレ、面積を求める杉コレ、それは、謎解きゲームのように応募者の判断にゆだねると言うことです。そんな中でこども杉コレのグランプリ作品「だっこのいす」は、異色を放っていました。求めていた以外の答えが、安田さんの作品だったのです。山田洋次監督の舞台あいさつで「ヨウヘン」と言う言葉を聞いたことがあります。黒澤監督が、何度も山田監督に話したそうです。映画を撮り終え、フィルムを編集すると当初は、思っても見なかったものが、出来上がる。陶芸の世界では、これを「窯変」と言い。「これは、しめた!」と思いなさいと黒澤監督は、山田洋次監督に話したそうです。まさに、安田さんの作品は「窯変」でした。これはしめた!と思ったとき、組織でどう動くかが、成功するか大成功するかの鍵になるのです。木青会のメンバーは、組織の一員ですが、会社に戻れば、リーダーなのです。自分の感性を信じ、判断する必要があります。 | |||
●公益性 | |||
私は、当初から杉コレに公益性を考えていませんでした。スタートが、宮崎杉のPRであったり、杉の可能性を多くに人に気づいてもらうイベントだったからです。しかし、これからの杉コレは、公益性を議論する必要があります。宮崎県民として、さまざまな問題の解決策を導き出すツールとして役立てることが、大切と考えるのです。 | |||
●感謝の心 | |||
先輩として、好き勝手なことを述べてきました。意味の不明な点もあったと思います。しかし、この点だけは、忘れないでください。毎年、大変お忙しい中、快く面倒なことを引き受けていただく内藤氏、南雲氏をはじめ、多くの審査員の方。(株)内田洋行の会長、社長を始め、役員の方、もちろん、若杉さんや千代田さん、本来であれば、木青会とはまったく関係のない方々が、私たちの杉コレクションを支えていただいていると言うことを・・・。 | |||
●<うみの・ひろみつ>木材コンシェルジュ |
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