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なんか、夢みたいだ。 最初の頃のお客さんは、パイプ椅子に座って、スチール棚に囲まれて、一番安いA3プリンタから出力した図面を前に、ただただ、僕、大島正幸の言葉を信じて、契約を交わしていてくれていた。今、思うと、とてつもない愛だ。 何せいまだに嫁は、床のホコリをスクレーパーで削り出したことを、ネタにしている。雑巾で拭いたぐらいでは、床が黒いと勘違いするほどにこびり付いた汚れっぷりだったのだ。3ヶ月ぶりに会いに来てくれた日、掃除だけして帰ってもらったこともあった。 2011年の冬、はじめて自分たちのためのテーブルを作った。といっても、試作したものを使い始めただけだったけれど、本当に嬉しかった。この頃のブログの写真が、食べ物ばかりなのは、そのテーブルが嬉しくて、そしてそれ以外の場所は、まだまだ写せる状況になかったからだ。この頃は、なべと嫁と三人の頃。 |
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上村も合流したけれど、なかなか、自分たちのことには手がまわらない。 |
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取り急ぎ、事務所が完成。玄関にも、椅子を並べて見ていただけるようにした。森の学校からたくさん、村の木を買って、床にも天井にも使えた。自分たちが「木を使う」当事者になれたこと、本当に嬉しかった。けれど、イマイチ売上は伸びない。原因はすぐにわかった。居心地のいい事務所とショールームであって、ショップに見えなかったのだ。とんでもない失敗だった。 |
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その頃は、株式会社西粟倉・森の学校の中の一室をお借りしていて、家具はそちらに優先して展示していたのだけれど、場所を開けて欲しいということになった。その解体に行ったのが4/10のことだ。一緒に作ってくれた人たちの顔が浮かんで、すごく寂しかったのだけれど、村に新しい人が入ってくるためにも、必要なことだったと思っている。 |
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とはいえ、ようびは主力商品の家具を展示するスペースを失い、これまでで最も、辛い半年を過ごしたように思う。けれど結果として、山口や田中も一丸となって、「ようびの日用品店」と「裸笑庵」のオープンに向かうことができた。自分たちの場所、ようびを応援してくれる人のための場所が、欲しくて欲しくて欲しくて、それが原動力になったから。 自分たちが、必死になっているとき、必ず、必ず、誰かが助けてくれる。それは、ようびの本当に恵まれたところだ。今回は、地元の方々と、学生さんたちだった。あと、新たに村に移住してきてくれた人たち。そして、オープンの日、たくさんの人が会いに来てくれた。ゲストに、瀬戸山玄さん、ablabo.、大林由佳さん、みちくさおじさん河村信幸さんも来てくれた。 そして僕が一番嬉しかったこと。それは、オープン以来、毎日誰かしらが訪ねてきてくれていること。これまでのようびは、既に知っている誰かの知り合いとか、口コミが圧倒的に多かったけれど、お店が出来てからは、その場をきっかけに、新たに出会う方が増えていることだ。そして、もう一つが、「モノ」を気に入って選んで頂けていると感じられること。どんな動機でも、もちろん嬉しい。けれど、作り手として、ただただ、その目の前にある椅子に座ってみて、気に入ってくださって、そして買ってくださるというのは、なにものにも代え難い喜びがある。 この場所から、僕たちはもう一つ先に進むことができる。 |
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ようびの日用品店はこちらから | ||||||||||||||||
●<おおしま・まさゆき> 木工房ようび 代表 |
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