特集 杉コレの普及
  「ashiato」のキセキ(1)
文/写真 羽原康成 
   
 
 
  1. 起点
   
  a) はじめに
   
   こどものためのブランド、kiko+より「ashiato」が、6月より販売が開始された。
下駄の歯が、動物の足形となっており、履いて歩くと、その動物のあしあとが残る、というもの。
数少ない言葉で説明できてしまうその商品も、起点となった「杉コレクション2005」で特別賞を受賞してから6年という歳月のなかで、様々な想い、沢山の人達によって、商品化へと至った。今回は、それらについて、月刊杉において文章とする機会を頂き、大変嬉しく思う。
杉コレクションでのコンセプトをはじめ、今まで通り過ぎてきた事、未だ抱えている問題も含め、それらを一通り整理する良い機会と捉え、書かせて頂こうと思う。
 
  「ashiato」
   
   
  b) 筆者について
   
 

 「ashiato」は様々な人が関わり、生まれた商品だ。それは杉コレクション2005からはじまるが、その前に筆者(以下、僕)について触れておく。
月刊杉58号、木匠塾の特集において、川上村木匠塾OBとして紹介頂いている。木匠塾の戸田くんとは、大学の同級生。川上村木匠塾の仲間であり、友達だ。大学2回生の頃、共に家具製作のサークルを作り、活動していた。専門は建築としても、建築にだけ集中する、という意識がなかった。単純に山や森にも興味があり、木造住宅を支える「木」の存在にも強く惹かれていた。特に学生時代は、ある程度自由に、自分たちで図面を引き、形にするという事が手軽に出来るのは、木や竹という自然素材しかなかった。だからこそ木によく触れていたし、自然と、川上村木匠塾への興味は強くなり、学生時代に1度、卒業後は、教員側の立ち位置で2度参加する事となる。

  林業を含めた木材生産の過程は、おおまかではあっても、木匠塾から学んだ。そして、大量に植林された杉が、現在抱えている問題も、知る事になる。漠然とではあったが、自分自身がどれだけ微力であったとしても「杉」に対して何かできないか、常に探っていこうと、心に刻み込んだ活動であった。
 
  川上村木匠塾
   
 

 その後、株式会社坂倉建築研究所・大阪事務所に勤める事となる。そこで初めて関わった物件は、勢いを増す中国のコンペであった。敷地面積が16haを超えるような、都市規模の計画に翻弄されながら、コンペで勝利、実現へと向かう。そういった大きなプロジェクトに関わりながら、スケールアウトしていく計画、仕事を進めていく中で生まれる疑問、それらから受けるストレスといった要素から抜け出るための、勉強の場が欲しいと思うようになっていた。その頃、同じ事務所の同僚であった岸本さんから、勉強会をしてみないかと、お誘いを受ける。グループとしての仕事の仕方、企業のありかた、これからの社会的組織は、人とどう関わりあい、抜きん出た成果を作りあげていくのか、などを考えていこう、というものだった。それは、以前から彼女と度々議論していた内容でもある。それを実際に勉強会とし、議論をしようと、彼女が知り合いを集めて発足した。

   
   
  c) 杉コレクション
   
   勉強会に集まったメンバーは、企業家、元飼育係など、ふだん関わる事はほとんど無いような異業種のメンバーだった。メンバーがそれぞれ経験した事や、今の興味も踏まえ、資料を持ち寄り話し合う。僕も、木匠塾や、建築・家具のコンペといった話をしていたように思う。
そのグループで、「なにかやってみたいね!」という企業家の松任くんからの発言を受け、自分が何かできる事があるだろうかと、ぐるぐると考え、インターネットで情報収集をしていた。その時「杉ダラケ倶楽部」のホームページを発見し、杉コレクションの存在を知る。
   
 

 デザイン・アイデアは生モノだと、昔から感じている。どれだけ早くアイデアを生み、コンペで賞を得ていても、いや、得ていなくても、それを現実のものと出来なければ、他者がそのうち実現してしまう。特許や、意匠権といった権利を個人で得るには、大きな経済的な負担が伴う。それらの権利を個人が登録するなんて事は、よほどの事がなければないだろう。やったもん勝ちの世界だ。
これは、昔から行われている、多くのコンペの受賞作品や、そのデザイナーが抱えるジレンマだ。しかし、商品化の検討がなされるコンペであれば、その問題は、解決しやすいに違いない。最もリスクが少ない状態で、自分たちがデザインした物を商品化したいのであれば、受賞に至る難易度が高いとしても、コンペが一番現実的ではないかと、思っていた。実際に、商品化を前提とし、多くの商品を生みだしているデザイン・コンペは、存在する。

   
 

 杉コレクションは、一次審査を通過した作品の実物を、製作してくれるという。商品化も検討されるコンペであること、そして何より、サブテーマの「杉の普及」という言葉に強く惹かれた。木匠塾が、間伐材を使って、実物を作る活動であるように、杉材を使って実物を作り、最終審査をおこなう「杉コレクション」。そこに、木匠塾と同じような臭いを感じた。杉の普及は、自分の中でも燻り続けていた言葉だ。実際にものを作る過程は、勉強会のメンバーにとっても、いい経験になるだろう。それぞれのメンバーが持つ知識や、技術、考え方がうまく影響し合う事で、大きな魅力が生まれる杉のアイテムは、どんなものがあるのだろうか、と考え、勉強会で出てきた資料を思い出していた。そして、下駄の歯が動物たちの足形となり、履いて歩く事で、その足跡が残る、というアイデアが生まれる。これはいけるんじゃないか!と早速、岸本さんに連絡を取った。

   
   
  d) Magnetの誕生
   
   かくして、そのアイデアを、みんなで形にしていこう!と決まった。ひとまず僕がリーダーとなり、コンペへ向けた作品づくりにおいて、全体をまとめる事になる。
核となるコンセプトは、およそ頭の中で出来つつも、その基盤となるストーリーについて、まずはみんなで話し合い、整理してゆく事にした。動物については、様々な知識に基づくストーリーを、元飼育係の仲尾さんが中心となり議論する。足跡ひとつとっても、そこから学ぶ事の多さにビックリした。
議論を進め、確実なかたち、ストーリーへ落とし込む。作品は、素直に楽しい!と思える仕上がりとなっていった。そこで、ひとつの問題に気がつく。作品の応募にはグループ名がいる、という事。様々な案を出し合い、岸本さんが提案した「Magnet」という名前に決まる。
仕事についての勉強会が、デザインチームに、生まれ変わった瞬間であった。
2005年8.月28日 足跡のダンスの実寸模型を、はじめて製作した。左から、羽原、岸本、松任、仲尾
   
  なんだか自分の事ばかり書いている気がするので、ここでMagnetのメンバーについて触れておく。
   
  ● 岸本 知子
坂倉建築研究所の元同僚。現在は家業を継ぎ、ボタン・ショップ・オーナー。
杉コレクション後、商品化に向けた活動に切り替わると同時に、Magnetのリーダーとなるが、いつも「私ってMagnetで何かできてるんやろか」とつぶやきながら、まったくまとまりのないチームを、もやもやっと引っつけているリーダー。
   
  ● 松任 保勇
エステートエージェントでありながら企業家。
とにかく五里霧中で先が見えない状況でも「よし!やってみよう」「自分たちで商品化しよう!!」と前向き発言でみんなをその気にさせつつ、いつもお酒に飲まれてブーイングを受けるキーパーソン。
   
  ● 仲尾 有加
杉コレクションの作品作りの中において、動物種の話はじまり、動物のあしあと、あしの運び、その動物たちがどういう環境で生きているのかなど、それらをまとめた元動物園の飼育係。その情熱は、近寄ったら火傷しそうになる程熱い。現在も、動物の面白さ、いのちの大切さを伝える事をライフ・ワークとしている。
   
 
   
  2.足跡のダンス
   
   ここでは、杉コレクション2005(テーマ:一坪の杉空間 サブテーマ:杉の普及)に提出した「足跡のダンス」について、記しておく。
   
   
  a) 一坪の森 ~足跡のダンス~
 
  杉コレクション2005に提出した「足跡のダンス」プレゼンボード
   
 

ぽとぽと、こつこつ、ぺたぺた、とっとっと

動物が動くと、様々な音と共に、足跡が残ります。
森ではたくさんの動物が生活しています。
身近な森では、どんな動物が生活しているのでしょうか?
足跡を見つけることで、その気配を感じ取ることができますが
なかなか、私たちが知る機会はありません。

カラン・コロンと音を出す履物があります。
それは、豊かな森を持つ日本ならではのものです。
水に強い杉の下駄
雨の日、風の日、晴れの日に
土、砂、水たまり・・・様々な場所で、足跡を残します。
割れやすいと言われる杉の下駄
じつは、足に伝わる衝撃を吸収して守ってくれています。
欠けてしまったら下駄屋さんに。
使い続ける愛着が、杉材を中心とした
コミュニティを形成してくれます。
そんな、杉の森から生まれた下駄に
私達は、ちょっとしたいたずらをしようと考えました。

一坪の杉空間
私達は、宮崎の森をつくろう、と考えました。
森に、様々な動物が隠れているように
一坪の空間に、杉材による下駄を並べ
下駄の裏には、宮崎の森で生活する動物達の足跡を。

好きな下駄を選んで、あるきましょう。
足跡の種類が変われば、下駄の音も変わります。
足跡のダンス
誰かが下駄をはいて歩きだすと
その痕跡は、様々な動物の足跡・森の気配となって広がります。

宮崎の森が
一坪の空間から
世界に向けて広がる瞬間です。

   
   
  b) 宮崎の森にひそむ動物たち
 
  杉コレクション2005に提出した「足跡のダンス」プレゼンボードより
*画像をクリックすると、大きなサイズのものがご覧いただけます。
   
   
  c) 杉の普及
   
   杉コレクション2005におけるサブテーマ「杉の普及」は、サブと言いながらも、実のところはメインだろうと、考えていた。「普及」という事は、どれだけ世の中で利用されるものとなるか、という事だ。杉コレクションは、建築系のコンペのようであるが「杉の普及」をテーマとするなら、建築だけでなく、プロダクトの可能性をより探るべきだと考えた。マイ箸の普及を食い止め、杉の割り箸を日常的に使うようにするだけでも、間伐材利用は促進され、救われる杉の森は、多数生まれるだろう。割り箸のように、日本人全ての人が使う可能性のある「杉プロダクト」を生みだせたなら、その影響力は計り知れない。エコだからと、強引にそれを強要するようなものではなく、誰もが楽しみながら、欲しいと思い、当たり前のように手に取る事ができる「杉プロダクト」を生みだす重要性を、強く感じる。普及という意味合いにおいては、建築にはない大きな可能性が、プロダクトにはある。もちろん、建築系での木材需要を、現実的に高める事ができるアイデアがあれば、なお良い。
   
   「足跡のダンス」では、日常的に、楽しく親しめるプロダクトとして、下駄を提示している。下駄は、桐下駄と杉下駄が有名だ。それが、毎日でも履きたくなる、楽しいものであれば、杉材の普及だけでなく、日本の文化製品としての下駄が、見直されるきっかけにもなるに違いない。文化というものは、そのままの形で維持し続ける部分も、当然あるべきだ。しかし、時代と、世代の要求に合わせて変容していく事で、新旧が共に世の中を刺激し合い、遺産とならず、生活の中で引き継がれていくのではないか。
   
   普及に向けた展開において、足跡が残る、というシンプルなアイデアは、生活に近い場所において、多様な形で活用される可能性を、秘めている。
サンダルや長靴、ふだん履きの靴での商品展開。教育分野においては、工作ができるキット。動物に限る必要も無く、キャラクターの足跡も可能か。結局、考え出せばきりがない。それらの実現は、どこからかの要望、オファーがあるかに掛っているのだが、シンプルなアイデアは、様々な要望に対して、枝葉を伸ばす起点となりうる。その枝葉が伸びる事で、杉の普及は、より促進されるだろう。これが、サブテーマ「杉の普及」への解答だ。その思いは、今も続いている。
   
   そして、杉の普及だけでもない。動物の足跡を通して、その動物に興味を持ち、それが森を知る事につながる。結果として、日々の生活の中においても、環境について考えるきっかけにもなるのではないか、という期待もある。
   
   
  d) 公開審査へ
   
   Magnetみんなの苦労が報われる。一次審査通過の連絡を、杉コレクション2005実行委員長の大浦さんより頂いた。
実物を製作するにあたり、木以外の付属物は、Magnetにおいて取り付ける必要があるという。ひとまず下駄製作用の図面を、送付した。そして、その下駄が届くまでの間、Magnetは下駄に取り付ける鼻緒をどう納めるか、考える必要があった。「足跡のダンス」は、下駄の歯が動物の足形をしているため、既製品の鼻緒を取り付ける事ができない。どんな金具を使い、既製品の鼻緒をいかに加工して取り付けるか、検討をおこなった。そうこうしているうちに、下駄の台が届く。
   
   下駄が届けば、後は人海戦術。とにかく手作業で、鼻緒を取りつけていく。鼻緒をつけた後は、鼻緒と同じ色を、歯に塗っていく。その作業は、眠い目をこすりながらの徹夜作業となった。Magnetだけではなく、その作業に、知人・友人を巻き込みながら「足跡のダンス」が完成する。
 
  杉コレ実行委員より送られてきた杉の下駄。人海戦術で鼻緒を取り付けていく。
 
  完成した「足跡のダンス」
   
   最終審査は、宮崎市のフローランテ宮崎でおこなわれた。Magnetのメンバー、松任くんは所用のため、現地入りできなかった。その変わりと言っては失礼だが、大阪芸大の後輩で、宮崎県で就職したばかりの中山エミリさんが、事前準備を手伝ってくれる事になった。と言っても、エミリさんとは会った事すらない。後輩の繋がりで紹介してもらったのだが、突然のお願いを、気持ちよく了承頂いた。そして「足跡のダンス」は、最終審査当日を迎える。
   
   宮崎市内のホテルで、会場へ向かう準備を終えたころ、携帯に電話がかかってきた。杉本くんという大学の同級生からの着信で、珍しいなと思って電話に出た。彼も、フローランテ宮崎にいるという。杉コレクションの一次審査を通過し、宮崎まで来たという事だった。大きな驚きと共に、嬉しい知らせでもあった。何度かコンペの授賞式に出る機会はあったが、そこに同級生が居合わせた経験は、それまで無かったからだ。みんな頑張ってると、実感した。一坪の捉え方にしろ、杉の普及にしろ、他の作品がどういった解答としているのか、その時ようやく気になりだす。少なくとも、下駄という提案は、少し特殊な解答なのだろう、という感覚だけはあった。
   
 

 フローランテ宮崎での展示は、芝生の上に、作品が点在する気持ちの良いものだった。

   同級生の作品は「風のフォーリー ~Blowin' in the wind~」(杉本清史、宮田英輝:優秀賞)
杉のルーバーが短冊状にぶら下がり、風に揺られ、気持ちの良い木陰を作り出していた。
   
   そうこうしているうちに各作品5分間のプレゼンテーションがはじまる。
  念のため、時間が超過しないよう練習していたが、Magnetのプレゼン時間は、10分近くになったのではないか。全ては無駄に時間をかけた、プレゼン下手の僕が悪いのだが、若杉さん、千代田さんが冷や汗をかきながら「時間を超過しています」とアナウンスされていた事が、思い出される。
ドボンとならず、特別賞を受賞できて良かった。
今思い出しても、苦笑いするしかない。
   
   一般の方々が「足跡のダンス」に示す反応は、Magnetの期待を、軽く超えるものだった。
多くの人が目の色を変え、食い入るように見る。子供たちは、下駄を手に取り、スタンプのようにして遊んでいた。両手両足に下駄をはめて、がおーと言っている子供もいた。何より、目の色が変わるような作品は、なかなか生まれるものではない。
間違いなく、幅広い層に愛される商品になると、手ごたえを十二分に感じるものだった。
   
 
  最終審査会場であるフローランテ宮崎に展示された「足跡のダンス」
   
  「風のフォーリー ~Blowin' in the wind~」(杉本清史、宮田英輝:優秀賞)   あえて人の足形を選ぶ内藤廣審査委員長
 
  「足跡のダンス」に大人も、子どもたちも、目の色が変わる
   
   
  「ashiato」のキセキ(2)へつづく
   
   
   
   
  ●<はばら・やすなり> 
川上村木匠塾OB、杉ダラケ倶楽部会員No.229、2005年よりMagnet
大きなものから小さなものまで、行き来できるような活動を目指している。
   
 
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